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御法話

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月 4日(木)13時34分31秒 202.241.170.178.ap.gmobb-fix.jp
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  いい御法話を見つけました。


皆様お早うございます。毎日が幸せな良い日であることを心よりお祈り申し上げます。
今日の掲載文     10月4日
受け難き人身
 『守護国家論』(一四六)
 一には受け難き人身値ひ難き仏法なることを明かし、二には受け難き人身を受け値ひ難き仏法に値ふと雖も悪知識に値ふが故に三悪道に堕することを明かし、三には正しく末代の凡夫の為の善知識を明かす

 人間に生まれることは極めて稀なのであります。
 世界の人口四十何億、しかも年々激増して人口問題になっている。

 それでも人間に生ずることは稀なのであります。

数の多きと生まれる事の難しさは別であります。

数の多寡でその難易を云うならば、パンダやコアラのような珍獣は、人間より優れていることになるし、八十万億那由佗の菩薩は、凡夫以下と云う事になってしまう。

 ではこの「受け難き人身を得」たのは何の為であろうか。
 願って今の自分にうまれてきた人はいないのであるから、この問に答へられる人はいないのであります。

 仏様の語を信ずる人は別であります。

日寛上人は『当流行事鈔』に、
 大覚世尊設教の元意は一切衆生をして修行せしめんが為めなりとあります。この意に従へば、人間は仏道修行をせんがため、それを目的として、生まれて来ているのであります。

所が人間は一向にこれに気づかず、自らの欲望を満足させる事に生涯を棒に振ってしまう。

 自分のために生きていると、思い込んでいるだけで、結局は五欲の奴隷として、生涯をついやしていることに気づかない。

 多生曠劫、三悪道を経めぐって
 『日蓮上人年譜』(富要五ー九七)
 此裟婆世界にして雉となる時は鷹につかまれ鼠となる時は猫にくらはれてやっと人間に生まれたのに、実にはかなく一生を無駄にしてしまうのであります。

 このことを妙楽大師は「徒に生じ徒に死す」と云われています。

 また現に信心をしている人でも、仏道修行をする為に生まれて来たのだと、自覚している人は極めて稀であります。

大体は、信心を生活が物質的に豊になるように。
 或るは、無病息災、延命長寿を願う為のものと心得ているようだ。
 つまり信心を生活の為の手段にしているのであります。
 だからある程度生活が安定してくると、次第に熱がさめてしまう。

 仏樣は慈悲深き御方、御本尊樣には絶大の功徳在す故に、凡夫の僅かな望みなどたちどころに叶えて下さる。
 それは上求菩提せしめんが為なのでありますが、凡夫は上を求めようとはしないのです。

 生命は永遠であるけれども娑婆の命は草の上の露ほどに短い。
 そして一度人身を失へば再び人間には生れ難いのであります。

 『守護国家論』(一四六)に、
 人身を捨てゝ三悪道に堕つるは十方の土の如し
とあるように、一度死ねばほとんど地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちてしまうのであります。

人間界はまさに成仏を遂げて仏界に到るか、三悪道に堕ちるか、稀に人間に生を受けるかの分岐点なのであります。

折角この分岐点にたどり着きながら、成仏の方に向かう者は稀で、大体は三悪道に堕ちてしまう。御書の龍門の譬は如実にその事を示しています。

 人間でも畜生でもそうですが、己の境界已上の事は想像すら出来ない、己の境界をもって満足してしまう。

だから成仏すれば、人間に生まれなくともよいと云えば、それでは嫌だと云う。
 そしてまた、人間に生まれたいなどと平気で云うのであります。

 人間界は十界のうち、下から六番目なのだから、人間より上の境界は四つもあります。

 一段上の天界すら知らないのだからそれは無理もない。
 しかし人間より、もっと素晴らしい境界はあるのです。
 その最高の境界は成仏であります。

我々は、それを目指して信心するのであります。

大聖人様は『開目抄』(五七八)に、「日蓮が流罪は今生の小苦なれば、なげかしからず。 後生には大楽をうくべければ大いに悦ばし」との仰せは、それを示しているのであります。

 こう云ったからといって、生活をなげうって朝から題目を唱えろと云う意味ではありません。

 娑婆とは忍土、喰わねば飢える肉身でありますから、食う為に働かねばならないのです。
 それでも、それが目的ではないのであります。
 『開目抄』(一0三六)に、
 極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず
 苦しい中の修行こそ、未来の大楽はあるのであります。
これから寒くなりますね。皆様、風邪などひかぬ様に御精進ください。合掌

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