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信心できる福徳

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月 6日(木)23時02分37秒 182-165-32-106f1.wky1.eonet.ne.jp
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  Facebookでいいお話を見つけましたのでお知らせ致します。

皆様お早うございます。今日も幸せな良い日であることを心よりお祈り申し上げます。
今日の掲載文     12月1日
百千万億倍の功徳
 『四信五品抄』(新編一一一五)
 問ふ、汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何。答ふ、此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず、将又真言等の諸宗の元祖・ 畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍なり。請ふ、国中の諸人我が末弟等を軽んずること勿れ。進んで過 去を尋ぬれば八十万億劫供養せし大菩薩なり。豈煕連一恒の者に非ずや。退いて未来を論ずれば、八十年の布施に超過して五十の功徳を備ふべし。
 天子の襁褓に纏はれ大竜の始めて生ぜるが如し。蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ

 御開山日興上人様は『日興遺誡置文』(新編一八八三)に
 夫以れば末法弘通の慧日は、極悪謗法の闇を照らし、久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払ふ。於戯仏法に値ふこと希にして、喩へを曇華の萼に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足らざる者か。爰に我等宿縁深厚なるに依って幸ひに此の経に遇ひ奉ることを得と仰せのように、極めて稀に日蓮大聖人様の仏法に値い奉り、数多ある門流の中にも、大聖人様の血脈を受け継がれた日興上人の門流に縁し、さらに御当代御法主日顕上人猊下の御指南のもとで、正しく南無妙法蓮華経を唱え奉っております。

 しかしながら、仏法については何も理解する事は出来ないし、勿論南無妙法蓮華経の意味すらわからない。
 それどころか唱へる意味すら知らないで、ただ唱へている。
 この我々の仏道修行上の地位はどの辺に位置するのであろうか。
 これが冒頭拝読の
 問ふ、汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何と云う御文の意味であります。

爾前経では五十二位と云って、五十二段階の仏道修行の位を設けて、それを一つひとつ登るごとに煩悩を断じていって、終いに妙覚と云う仏の位に至ると説きます。
 法華経に来ると大聖人様は『総勘文抄』(新編一四一七)に一切の法は皆是仏法なりと通達し解了する、是を名字即と為づく。名字即の位より即身成仏する故に円頓の教には次位の次第無しと仰せのように位がありません。

名字即と云うのは仏法を聞いて理解出来なくとも、とにかく信じた状態を云います。

 とにかく南無妙法蓮華経が信じられれば、即身成仏が叶います。

 そうしますと我々は、名字即の位にあって即身成仏が叶うと云う事になりますが、我々はまだ本当に心の底から信じていない。
 従って名字即の位ではないのです。
 それを日寛上人様が我々を「理即但妄」と云われているからです。
 理即とは仏性があっても、仏法が信じられずして六道を輪迥する位であります。

 では御題目を唱えている我々の状態は、どの位にあるのだろうか。

 私どもが此処にこうして御題目を唱へていると云う縁は、あだやおろそかではないのであります。

けれども誰もあまりに、この事を感じておられないように見受けられます。しかし只今の御書を拝しても、ただならぬ縁によって今の自分の立場があるのだと云う事を知って、精進の糧にして戴きたいと思うのであります。

永遠の時間の流れの中に、今末法と云う時代に生まれ、信心しようと決意して生まれた訳ではないのに、現在こうして南無妙法蓮華経を唱へている。

これすべて自分に願った現在がある訳ではないと云う一事を考へても、実に不思議な縁だと感じずにはいられないと思うのであります。

私共のように仏法に全く無知で、南無妙法蓮華経を信じているとは云へない者、しかし信は不確であっても、とにかく南無妙法蓮華経と唱へ奉っている者の位は、どれほどのものかと云う問に対して、
 大聖人様は、これは途轍もない功徳を具へている者であって、四味三昧教と云う法華経以前のすべての教を学んで悟りを極めた者、例えば舍利弗・目連などよりも上である。また、「爾前の円人に超過する」つまり法華経以前にも、法華経のような円教と説かれているが、その円教を悟った人よりも優れていると云うのです。

 そればかりか、諸宗の元祖、眞言宗ならば善無畏三蔵、華嚴宗の智厳、法相宗の慈恩大師、三論宗では嘉祥大師吉藏、律宗の道宣、禅宗の達磨、淨土宗の善導、この人達は偉い学者であるばかりか、世の尊敬を一身に集めた人々でありますが、これよりも題目だけを唱へる者の方が百千万億倍も勝れていると云うのであります。

 いつも申しますように、大聖人様の御言葉は一字一句もゆるかせに出来ません。

 大聖人様が「百千万億倍」と申されたら、それは単なる形容詞ではなくて、本当に百千万億倍なのであります。

それゆえ「国中の諸人我が末弟等を軽んずること勿れ。」
と誡められているのであります。

そしてこの者たちは、「進んで過去を尋ぬれば八十万億劫供養せし大菩薩なり」つまり、特に取り立ててこの者の過去世に積んだ功徳を云うならば、八十万億劫と云う長い年月の間に、沢山の仏に供養した人々であると云うのであります。

どのくらいの数の仏かと云えば『守護国家論』(新編一五三)に
 「曽て十万億の仏を供養せしなり」
と仰せられています。そしてこれは『涅槃経』に説かれている
 若し衆生有って煕連河沙等の諸仏に於て菩提心を発こし、乃ち能く是の悪世に於て是くの如き経典を受持して誹謗を生ぜず。善男子、若し能く一恒河沙等の諸仏世尊に於て菩提心を発こすこと有って、然して後に乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず是の経典を愛敬せん
 (過去の世に、煕連河の沙ほどの仏の下で修行した功徳によって、末代に此の経を信ずることが出来るのだ)
と仰せになられているのであります。
そして「退いて未来を論ずれば」
すなわち、ひかへめに遠慮がちに、未来に受ける福徳を云うならば、その功徳は八十年の間、つまり釈尊の御一生を布施したほどの果報を得るだろうし、また来世に人間に生まれるとするならば、五十の功徳を供へて生まれるであろうと云うのであります。

五十の功徳とは、法華経の『随喜功徳品』に説かれるところで、人間に生まれるならば、かくありたいと誰でもが思う事が羅列されています。

 それは、頭脳明智、眉目秀麗、福徳高貴に生まれ、仏を見奉り、法を聴いて信受すると云うものであります。

それはあたかも、天子の子は赤子でべべを着ているような時から、国中の人から尊ばれ、龍は生まれながらにして雲を起こし、雨を降らす力を具へているようなものであると、云われているのであります。

 現在私共が御題目を唱へているのは、想像も出来ないような、過去世に積んだ功徳によるものなのです。
 そして今唱へる題目の功徳は、計り知れない果報をもたらすのであります。

 そして我々は今、未だ信じられぬ「理即但妄」の凡夫でありますが、信を深めていって、本当に南無妙法蓮華経が信じられる名字即の位に至れば、五十の功徳を遥かに越えた即身成仏の境界が得られるのであります。合掌
 
 
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